2011年4月

支援のお礼が届きました

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今回、物資を届けに行った
相馬市(写真1枚目)
新地町(写真2枚目)
から、支援に対するお礼の手紙を頂きました。
市長さん、町長さんの署名入りです。
やっぱりうれしいもんですね\(≧▽≦)/
(写真3枚目)は
日本赤十字社と福島復興プロジェクトへそれぞれ
123,419円ずつ郵便局から振り込んだ明細です。
明日の夜から、博多やの宇都くんたちとバスで、
石巻市にガレキ拾いのボランティアに行ってきます。
つづく

福島レポート NO1 2011/4/15

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ただいま!貫太郎です。
火曜日仕事を終えて、その足で、カッチンと抱瓶号に皆さんから頂いた物資を満載に福島へ出発!最初にごめんなさい。約束していた南相馬へは行けませんでした。
出発直前に、南相馬市は計画避難地域に指定され、ここ1ヶ月で自主退避するというので、その後最前基地となるであろう、相馬市、新地、そして今回僕たちを快く受け入れてくれた、Bamboo forest竹内さんの事務所の3箇所へ、物資を届けてきました。
福島県は日本で3番目に大きい県。東北道をひた走り、あさ5時過ぎに福島西のインターを降りすぐ市街地を回りましたが、県庁にテレビ局や自衛隊などの車両が目立つほか、あれ?ここが被災や放射能でゆれる場所?というくらい普通だったというのが、最初の印象でした。
とにかく、現地の人に合って状況を把握しなければと、1時間ほど仮眠を取り、竹内さんに紹介された従業員のシゲくんと事務所前で待ち合わせ。(竹内さんは、県内でイベントの企画などをしている会社の社長さんですが、今回の地震で当面のイベントが全て白紙になり、すぐに被災した方々の支援にシフトした若きフットワークの持ち主です)
このあたりのライフラインは、すぐに復旧しているが、やはり海沿いの地域がヤバイという事なので、そこから各避難所に連絡を取り、現在、物資受け入れを行っている相馬市の「道の駅」へ2時間ほどの道のり。
水、米、缶詰、消耗品等を3分の1ほど降ろし、その集積所の方から、「新地」という所が、これからの被災前線基地となると言う話を聞き、新地の役所へ。
今回、用意した物資の他、スタッフやお客さん、家族、同級生まで頂いた物資は多岐にわたり、「不必要な物もあるでしょうから後は持って帰りますので」と伝えると、総務の方々から、刻々と変わる必要物資の状況・自宅避難者の現状など詳しく教えていただきました。
第一段階、必要なものはやはり、水と食料、衣類。もちろん避難場所。
第二段階は、生理用品やトイレットペーパなどの消耗品。
1ヶ月たった今、企業からの支援でこの辺の物資も少しずつ行き渡るようになって、第三段階は、子供達のオモチャや、電化製品、衣類もこらから暖かくなるので、Tシャツ、下着などに移ってきているようです。
一週間まえに先乗りした友人の情報とは、刻々と状況が変化しているのだな、と実感しました。しかし大量に持って行った「すべての武器を楽器に!」Tシャツが本当に喜ばれたのは嬉しかったな。
ここでも、ジュース、お菓子、食料など3分の1ほど降ろし、役所からすぐ200メートルほどの「海沿いの集落」があったはずの場所で、黙々とガレキを鉄クズと木材、車やその他の物と分けて処理をする自衛隊の皆さんを、遠くからしばし呆然と眺めていました。
本当は自分も被災しているのに、家族や家・仕事を失った人の為に動いている人たちに、本当は渡したかった、酒・タバコなどの嗜好品。でも、このような物資は、受け取りたくても受け取れない現状。車を満載にして行っても、多分、数日分にしかならない無力さを感じながら、福島市に戻りました。
シゲくんの事務所に、残る本当に細かい物資をすべて受け取っていただきました。
必要な物を必要な場所へ。そのような動きをしている竹内くんやシゲくんのグループには本当に頭が下がります。これから東京・福島間の連絡は一度顔を合わせている事によって、もっとかゆいところに手が届く連携がとれるような気がします。
今回の目的であった、皆さんから頂いた物資・義援金を直接渡す事。とかく現地に行って人と出合い現状を目の当りする事。支援をしている人達とのコネクションを作り、今後も連絡を取って行く事。が出来ました。
そして、忘れちゃならない福島への道中「カッチン」と、とことん語り合う事!その夜、地元の銭湯(温泉)につかり、郷土料理「楽」で心ゆくまで語り合いましたとさ。風評被害撲滅!!皆で福島へ行こう!!
放射能なんて言ってられない地元の人達の生活と強さ。と、東京から考える被災に対してのギャップ。飲んでも飲んでも頭が冴えてくるこの感じ・・。ごちそうさま、やっぱ福島は美味しいな。また来ますね。
抱瓶号で車中泊。よく朝出発しようとすると、あれ?なんかちょっと足首が痛い・・。あっそうか!昨日夜、駐車場で小便しようとして挫いたのか・・。ガレキなら、いざ知らズ、面目ない。(;^_^A
「原発」半径30km圏外をぐるりと南下、去年研修で行った「常磐ハワイアンセンター」が閉業するというので行ってみると、通行止めでたどり着けず、目ヒカリが美味しかった小名浜漁港へ。
一度来ている場所だけに、その変わり様に唖然。音の無い工場地帯に置き去りの船が横たわる。海岸地帯を帰るつもりだったけど、次のインターで常磐高速に戻る。福島FMでは身元不明の遺体の情報を流している。
 
それ以外はドライブ日和な陽気に、むちゃくちゃ空いてる高速道路。とっても気持ちがいい。戻れる場所がある事に感謝しながら、桜満開のドライブインで休憩を取り、昼3時ぐらいに高円寺に着きました。
ありがとう。さあ、これからだね!カッチンとがっちり握手して分かれました。  つづく・・・
※上記、竹内君の会社 Bambooforest は、本業はイベント企画・商品開発 映像制作ですが、現在東日本大地震福島復興プロジェクトβ という活動を行っています。 現在、福島応援隊隊員カードの販売や風評被害に苦しむ地元農家さんの野菜等の販売、放射濃度把握のためのガイガーカウンターのレンタル、個人支援物資の受付等種々の業務を請け負っています。tel 024-529-5078
※追記、次は、博多やの宇都くんの呼びかけで(30人ぐらい)、ガレキ処理のボランティアに行ってみようと思います。
※追記 愛知(名古屋)で頑張っている仲間ヒーサ(同い年)の「今なにができるか?」という具体的な動きです。各地にこんな仲間がいる!それだけでこの世の中捨てたもんじゃないと力が湧いてきます。
http://www.earthday-japan.jp/
 ぜひ、「石巻 佐藤さんの話」という動画(YouTube)をみてください。

4月3日抱瓶チャリティー花見♪

 皆さんお疲れ様です!!抱瓶チャリティー花見♪は無事終了しました。
昨年から準備していた「きよ香50周年祭」は、今回の地震・津波・原発事故によって、中止になってしまいましたが、せっかく集まった皆さんの思いを「この地震で被災した東北の皆さんへ届けたい!」との一心で、出演者もほとんど変わらずに、チャリティー花見♪という形で、催す事が出来ました。
 当日の入場者は、なんと290名!!そして、この4日間で集まった義援金の総額は¥367,168円、という大きな金額が集まりました。
 集まってくれた皆さん!ノーギャラで出演してくれた出演者の皆さん!そして、不眠不休で働いてくれたスタッフの皆!!本当に!本当に有難う!そして、お疲れ様でした!!
皆さんからもらった、熱くクリーンなエネルギーを被災した人々へ届けるべく!4月13日(水)カッチン&コニタンと共に、抱瓶号に積めるだけの、水、食料、日用品、衣類、嗜好品、そして義援金などを積み込み「福島県南相馬市」へ行ってきます!
 直接行って見なけりゃ分からない事が多すぎる。日本赤十字社への寄付も考えましたが、今、本当に困っている人たちへの「支援」を考えた時に、熟慮して出た考えがコレです。
すでに先乗りしている友人や知人を訪ね、支援をしている人たちを、後方から永続的に支援するつもりで、行政の目の届かない場所や自宅避難している皆さんへ直接手渡してきます。
 
 そして、おそらく何年もかかるであろう「復興」。その人との繋がりを作って無事に帰ってきますね。
※また、このレポートの中で、今後必要なモノや情報をUPしていきますので皆さんよろしくお願いします。
炎の沖縄居酒屋 抱瓶 貫太郎